持たない自由

3ヶ月ぶりの投稿になってしまいました。
ウィズコロナの時期だけに、
ご心配のお声がけをいただくこともありました。
すっかりごぶさたしてしまい、申し訳ありません。

ちょっと前に引っ越しをしたのです。
私は東京で賃貸住まいをしていまして、
どちらかといえばシンプル、コンパクトな暮らしを
しているつもりでしたが、いざ引っ越しとなると、
いつの間にか増えた荷物の量にびっくりしました。

ちょうどステイホームの自粛期間でしたので、
世界のニュースに耳をそばだてながら、
せっせと片づけをしているうちに、
思い切ってモノを減らそう、と決意し、
長年コツコツ集めてきたアンティーク雑貨や
読み返す予定のない本、棚を飾るだけの器など、
譲ったり、売ったり、処分したり、
大胆に減らし始めました。
勢いよく育ってくれた植物たちの鉢も、
それぞれ新しい家に養子に行ってくれました。

別れる時には、いろんな思いがよぎって胸がチクッと
することがあっても、手放してしまったあとでは、
ホッとして解放感に満たされます。
エネルギー的にもスッキリ軽やかになります。

私はもともと、色柄や複雑なデザイン、文字など
情報の多いものが目に付くところにあるのが苦手なため、
汚部屋だったわけでもないのですが、
それでもいつの間にか、主従関係が反転するほどに、
モノたちのエネルギーに支配されていたのだと
気づかされます。

持ち物を半分くらい減らして引っ越してからも、
佐々木典士さんの著書「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」
を読んで共感し、またいくつか収納家具を手放し、
徹底的な整理に入りました。

いつか使える、まだ使える、高かったし、
思い出があって捨てられない、いまいち使いづらい…
そんなこんなでしまわれて、
半ば存在さえ忘れ去られていたモノたちを
光の元に引っ張り出して、見つめてみます。

ときめかないモノは捨てる、というご指南で
ベストセラーになった本も以前読みましたが、
そのあたりの判断が、どうも私にはうまくできません。

それでも「かつて」と「いつか」のエネルギーに
感謝してお別れをしよう、と潔く決めて作業していくと、
これが自分にとって、思いがけず意味深い
ヒーリングになっているということがわかってきます。
モノを手放すことで完了し浄化できることは、
想像以上に多いのです。

こういった作業は誰にとっても有効とは限りません。
すすめたり、すすめられたりするものでもないと思います。
人それぞれ、その時々のライフスタイルがあり、価値観があります。
でも部屋や装いというのは、ウソ偽りなくその人を表していて、
今回私は、自分に恥ずかしくなるくらい、まざまざと
それを思い知ることになりました。

いま役にもたたない過去や未来の幻影に
時空間を占拠され、雑多なエネルギーに
さわさわ乱されていたのは、
無秩序な心そのものが映し出されているからでした。

そしてシンプリスムとかミニマリスムといった、
合理的かつ美しいフィロソフィーよりも、
これはもう完全に終活だ、という気になりました。

そう言うと、周囲の優しい人々は眉をひそめ、
縁起でもない、とたしなめてくれるのですが、
本気でそんな神妙さも口実にして、
ありとあらゆる執着を手放していくごとに、
意外にもエネルギーは活性化し、
ますます軽く、生き生きとしてきます。

たしかに粛々と終活していたはずなのに、
うっかり生まれ直しちゃった、みたいな、
つるんとした感覚が、新鮮な驚きです。

スピリチュアルに関心ある人々の間では、
スペースを空けると新しいモノゴトが入ってくる、
人生が好転する、という説も聞かれますが、
実際には、そういう動機や目的から
ミニマムな暮らし方を続けられる人は
少ないのではないかと思います。

私の場合は、もっと、もっと、という気持ちが
どこかにあって、モノが増えていました。
もっとこうしたら良くなるのでは、
これがあれば、もっと素敵なのでは、とか。
それでも長く愛用できるものを見極めて
選択するのは難しいことでした。
それはモノに限らなかったかもしれません。

いったん「もっとモード」をオフにし、
重なりあうエネルギーを整理していくと、
いまあるモノゴトをマネジメントできる自信を
取り戻せるようになり、

日常の充実感が増していきます。
ウキウキ、ワクワク、といった刺激的な感覚でなく、
静かに満たされていく感じです。

夢や希望がなくなるわけではありません。
むしろやることが明確になって、集中力が増したようですし、
以前よりアクティブに動けて、あまり疲れません。
何より、エネルギー的な環境として、
クリーンであることは純粋に喜ばしく、
自分はこうせざるをえなかったんだな、ということは、
後になって、はっきりわかりました。

まだまだ判断保留なモノも多いのですが、
いったんは、これ以上できない、というところまで
やり切るのだろうと思います。
リバウンドするでしょうか? どうでしょう。
でも、いま胸に感じる清々しさ、
風が渡るような心地よさをキープしたければ、

たぶんなるべく持たない自由を選択していくと思います。

そのうちまた、ご報告しますね。