伊勢神宮への旅

夏至前の週末に、伊勢神宮に参拝してきました。
奇しくも、故郷の神社を巡ってから伊勢に入るというプランで、
あらゆるレベルで自らのルーツを確認するような旅でした。

出発の2日ほど前、瞑想中に小さな子狐が現れ、
ふんわりした白い衣のようなものを差し出してくれました。
(妄想と思ってください。)
これを着ていって、という意味に見えました。

私は元々、稲荷と縁が深いようなのです。
狐というのはご眷属、つまりお使いですが、
稲荷といえば、ダキニ天かウカノミタマか、仏教か神道か、
あるいはエジプトのアヌビスの親戚か、
はたまたアヌンナキか、宇宙系か、など、
いろいろな物語を聞きますが、
私にはただ、ザ・イナリネットワーク、とでも呼びたいような、
日本人の集合意識の中で、自然と人間界のはざまに存在する
自然霊ネットワーク、ととらえる方がしっくりきます。
グラウンドに近い部分で、人間界をサポートしているイメージです。
エネルギーそのものは、あれこれバラエティがありますが、
イナリに出会う時はいつも、忘れかけていた原始的な何かが
強く喚起されるような気がします。

白い衣をまとうように、あらたまって行け、というのは、
日本の自然霊の最高峰にご挨拶するのだから、
ということかな、と考えました。
このことは、多くの解釈がありますので詳しく書きませんが、
推察される方もいらっしゃるのではないでしょうか。

さておき、この旅でありがたかったのは、
ツアーガイドの方が時折、
神社の中心からやや外れた、ご神域内の自然の中で、
沈黙の時間を設けてくださったことでした。
神社ツアーというと、強いパワースポットを忙しく回ったり、
何か素敵なサインを期待したりしがちですし、
内観する時間を持てないことが多いものです。
しかし周辺の自然の中には、踏み荒らされていない、
精霊たちの豊かな世界がありました。

そうした清々しい林の中で、一本の木の新芽に指が触れた瞬間、
まるでタッチパネルで何かのスイッチを入れたかのように、
輝く蜘蛛の巣のような、光のグリッドに、
サーッと繋がっていく感覚がありました。
植物たちのネットワークだと感じました。
自然の秩序によって私のゆがみが矯正され、
知覚が少し拡がったのだと思います。
私が誰であるか、が消えて、自然の中に浸透していったようでした。
「アバター」という映画に出てくる森を思い出しました。
もしもそこで、悪意を持って、その芽を傷つけようとでも思えば、
その衝撃波は、あっという間に自然界に伝わるのでは、と思うほど、
繊細かつ精妙な世界でした。

それは特殊なことではなく、むしろリハビリのようなものだったと思います。

伊勢神宮に参拝することは、日本人として高揚する体験で、
そのこと自体にも感慨はあったのですが、
一方では、何かに触れようと意図すれば、その瞬間に、
ネットワークに影響を与え始めているということ、
そして自らの内奥深くに耳を澄ますことができれば、
逆説的ですが、自らがネットワークの一部であること、
つまりは宇宙のひと雫であると知ることになるのだと、
つくづく実感する旅となりました。