「前世を超えて」

出版されたばかりのミラ・ケリー著「前世を超えて」(ナチュラルスピリット)
という本を興味深く読み終えました。

著者は退行催眠による前世療法のセッションをされるセラピストですが、
前世、あるいは生まれ変わりの歴史は、時系列に存在しているわけでなく、
オーバーソウルの観点からは、すべて人生は「今この瞬間」に
同時に起こっている、すなわち互いに並行している、という考えを
具体的なケースを挙げて、繰り返し述べています。

退行催眠に携わる方であれば、おそらく数々の臨床例から、
こうした推論に次第にたどり着くのではないかと思うのですが、
一般的には理解されにくいためか、前世療法に関する代表的な本の中でも、
ここまでスポットライトが当てられたことはなかったように思います。

私のセッションの中でも、リピーターの方が、同じ時代に別の過去生を
並行して生きていた、というストーリーを見ることがありますし、
どう見てもクライアントさんの現在の人生に時期が重なっている過去生、
というケースもあります。
また、別の人生の自己が、現在の自己に対してヒーリングを行ったり、
ヒーリングプロセスの中で、過去生の情報が上書きされるように
変容していく様子を見ることは珍しいことではありません。

もしタイムラインがたった1つしかないとしたら、どれもすべて、
私の空想でしかないことになるでしょう。
別に空想だとしても構いませんが。
空想がリアルでないとは誰にも言いきれないのです。

セッション以外の日常生活では、私は普通のリアリティでいるのですが、
時折、世界が、揺れ動く超微粒子から成り立っているように見えます。
アナログテレビ放送の時代に、画面が「砂の嵐」と呼ばれる状態になることが
ありましたが、あの砂状の点々が、もっとずっと繊細に、超極小になって、
振動しながら、活発に運動しながら、形をキープしようとしているのです。
そういう時には、目の前の現実がとても儚げに見えます。
(面白いのは、その状態がはっきりしている時にコーヒーなどを飲むと、
世界のツブツブが粗くなってきたりします。)
ですので、リアリティ、というものは、どこを観測拠点としているかで
やっぱり変わるんじゃないかな、と思っています。

こういう話をしますと、量子物理学ではね…という説明を
してくださる方が最近はとても増えています。
理論物理学者という職業の方々に、とても憧れのある私としても、
もちろん期待はしているのですが、科学的根拠があるというには
時期尚早ではないだろうか…、という思いもあります。

たしかに、そのおかげで、こういう話がしやすい時代にはなってきました。
でも、そもそもサイエンスはサイエンス、スピリチュアルはスピリチュアル、
で、聖域が違っていいのじゃないか、という気がするのです。

コペルニクス的転回、はいつどんな瞬間にも起こり得るのですから。

情報を鵜呑みにするよりも、心の琴線に響くもの、心で「わかる」ものを
鋭敏にとらえていく方が、クリエイティブに生きられるのではないでしょうか。

とはいえ、過去生、パラレルライフなんてまったく信じない、と、
ただのたとえ話のように思われたとしても、まるで自然な化学反応のように、
癒しは起こりうることを、私自身はいつも実感しています。

時々、セッションの最終局面で、この超微粒子の世界が一斉に踊り始め…
まさに世界、宇宙全体が祝祭のダンスと化す、ことがあります。
これは見る、というより、その世界にどぷっと一体化する感じで、
いやおうなしに、私を構成する微粒子も沸き立つように踊り出します。
そういう時には、ただただ、涙があふれて止まりません。
果てしなく重層的で、壮麗な祝祭のタペストリー…
これが本来の姿ではないだろうか、と感じます。

世界は毎瞬毎瞬の夢まぼろしで、あなたは多重に生きています、
などと言われたら、どんな気持ちがしますか?
このブログを読んでくださる方なら、無限の可能性を感じて、
胸がときめいてしまう、かもしれませんね。

考えすぎるのはやめて、リラックスしませんか。
いつだったか、某ファッションビルの広告コピーに、
「世の中なんて、ぜんぶワタシの背景だ。」というものがありましたが、
(もちろん作者の意図とは、ちょっと違うのでしょうけれど)
ひとまず、そんな心意気を持ってみるのはいかがでしょうか。

こだわりなくオープンで、変化を恐れない心が、
明るい未来を創造していく、と私は思うのです。